学校だより

設立までの記録

「第1回教職員合宿」を実施しました。Part.3

こんにちは、コミュニティづくり担当の長尾です。
2月の3日(土)〜4日(日)にかけて、大日向小学校で初めての教職員合宿を実施しました。
今日はPart.3です。
「凍った池」のお話の続き、2日目の午前中のお話です。(合宿でのお話が何話で終わるかは、書いている私にもわかりません…。)
大日向小学校の最寄り駅(といっても距離は7kmありますが)は JR小海線の海瀬(かいぜ)駅です。
我々が宿泊するのは「海瀬館」という旅館。海瀬駅から徒歩10分ほどの風情あるお宿です。
初日の予定を終えて、みんなで海瀬館に泊まりました。
自然と大部屋に集まり、遅くまで話し込みました。
 
そして翌朝。
腕時計の気温に目をやると、そこには−7℃の文字が。
寒いのですが日差しが強く、気持ちの良い朝です。
大日向小学校に移動して、午後までの話し合いの準備を始めます。
 
ふと「凍った池」は−7℃だとどうなっているんだろうという疑問が湧きました。準備をしなければなりませんが、池のことが気になって仕方がありません。急いで池に向かいました。
 
前日夕方には氷に載っているシャーベット状だった雪はカチカチに固まっていました。
今度は自信をもって凍った池に足を踏み入れることができます。
どのくらいの厚みなんだろう、と倉庫にあるつるはしを取り出して、氷を割ってみました。
すると20センチほどの厚みがあることが判明。
なんだ、全然大丈夫じゃないかとおっかなびっくりだった昨日の自分を笑ってしまいました。
 
見た目には薄く見えるものでも、時間をかけて育まれた「自然なもの」は、目にみえないところで「厚み」を積み重ねていくんだな、と思いました。
おそらく学校も同じように、時間をかけて「自然なもの」として扱うことで、表面上には見えない水面下の「厚み」を育み積み重ねていけるのだと思いました。
 
朝の準備で急いでいて、写真を撮らなかったことを悔やんでいます(笑)
 
さて、2日目の午前中です。
 
まずはあらためて自己紹介も含めた一人一人の学校への思いを話す時間をゆっくり1時間とってから、カリキュラムの話に進みます。
イエナプランのコアクオリティ(核となる特質)に基いて、これらを日本の学習指導要領に準拠するために、どのようなプロセスでカリキュラムを設計していくか、という話し合いです。
 
カリキュラムの叩き台となるものは、日本イエナプラン教育協会のメンバーと財団理事と協力者の方々(イエナプラン的実践に挑戦している公立小学校の教員)とで進めています。
今回は初めて教職員メンバーが揃うので、今後、どのようにこの叩き台を磨いていくか、という話し合いをしました。
 
昨年12月から、財団事務所で「小さな説明会」の取組を始めています。説明会の中で参加者である開校に興味を持たれている保護者の皆さんから、「イエナプランは日本の学習指導要領で取り入れることができますか?」という質問をよくいただきます。
 
この質問には「はい、できます。ただし、具体的なカリキュラムは現在作成中です。」とお答えしています。
 
イエナプランは「オープンモデル」です。オープンモデルとは、基本的な考え方としての「20の原則」をコンセプトとして共有しながら、コアクオリティを実現するために、教職員が学校個別の状況に合わせて応用的に実践するモデルのことです。つまり、日本の学習指導要領に応じた形でどのように20の原則に基づいた教育活動をすべきか、ということは「現場」である私たちに委ねられています。
 
6月から始まる認可に向けた審議では、当然このカリキュラムも審議されますが、大切なことはこの学校で教育活動を行う教職員が、「与えられたカリキュラム」ではなく「自分たちで考えたカリキュラム」をつくるプロセスに参画していること、そしてそのカリキュラムが適切なものかどうかを教育行政で十分に審議されフィードバックを重ねながら磨いていくことにあると考えています。開校に携わる多くの人と共に作り上げるカリキュラムになるでしょう。
それまでは喧々諤々、「日本で初めてのイエナプランではどのような教育活動が行われるか」「既存の学習指導要領との融合をいかに進めるか」の議論と対話をすすめることになります。
 
「日本の学習指導要領に則ったイエナプランのカリキュラム」というものはまだこの世の中に存在していません。
まさにゼロからイチを生み出すプロセスです。
 
手探りですが、何とか皆で創り出していこう、と思いを新たにする午前のワークショップでした。

写真はこの大いなるチャレンジに向けて真剣に悩む代表理事・中川です。
イエナプランは、ドイツのイエナ大学の教授だったペーター・ペーターゼン(Peter Petersen, 1884 – 1952)が提唱しました。そして、ペーターゼンの死後、オランダ人のスース・フロイデンタール(Suus Freudenthal-Lutter, 1908-1986)というひとりの女性が、信念とともにオランダでイエナプランの実践を始めます。やがてフロイデンタールは「イエナプランの母」とも呼ばれるようになりました。

この写真に見るフロイデンタールの表情は気難しくもあり、それでいて確固たる信念と覚悟に裏付けされた優しさが伝わってくるように思います。
中川も、フロイデンタールも同じように難しい顔をしながら、子供たちと学校がどうあるべきかを真剣に考えているように見えた一幕でした。
(Part.4に続く)